誠悟が住んでいるこの町は、部落に対する偏見はかなり根強いものがあった。それは長く全く変わらぬ差別の歴史が連綿と続いている現実を裏付けている。
佐竹と同じ目にあった何人かが、やはり芝居作りを断念した。青年団員が四人、劇団『楔』のメンバーが二人で、佐竹を銜えると七名の戦線(?)離脱である。考えてみればみんな差別に起因したものだった。
その欠員分を埋めるかのように、奈津実が率いた高校演劇部員五名の仲間が参加した、態勢は何とか固まった。
キャスティングはあっさりと決まった。型通りのオーディションを経て、中川先生と青年団の実行委員、劇団の制作関係者が検討した。主役の香住彩恵、被差別部落に生まれ育った若い女性役に、そのモデルとなった有子を、中川先生が指名した。検討委員会の他メンバーたちに異論はなかった。
「この役は君にやって貰いたい。いや、君しか出来ひん。どや?やって貰えるな」
「はい!やらして下さい」
中川先生のやや控えめな要請に、有子はいささかも迷わず快諾した。
差別が因子となってきつい試練と打撃を受けた有子を、よく知っている仲間たちは、有子の強い意志に感動を覚えた。自分が体験した過酷な現実を、改めてわま身を持って演じたいと望む、有子の強固な意志力に圧倒されるばかりだった。
「彩恵の恋人役は江藤くん。小堀啓介は君が適役や」
予想だにしなかった。意外な抜擢に誠悟は戸惑った。すぐ立ち上がった。
「あかんわ、先生。俺、芝居なんか全然やったことあらへん。そらやりがいのあるこっちゃけど、素人に演技は無理やで。他にもっと出来るやつおるやろ」
誠悟は表の舞台に出るのではなくて、裏側で運営面をがっちりと支える気でいた。連合青年団団長としての責務だと思った。
「啓介は、君がよう見て来た真治くんや。君にやって貰うのが、彼の供養にもなる」
「そら分かるけど、俺が人前で芝居やれるはずないやんか。脇の端役やったら何とかなるけど、重要な役は無理やわ。そや、『楔』から
加州健身中心ッラビ貼ったらええんや。一番それが問題ないキャスティングやで」
どうあっても誠悟は断る気だった。冗談じゃない。恥をかくのが関の山や。差別問題を訴えるまでにいくかいな。舞台には上がられへん。頑なに拒絶の姿勢を見せた。
「ショウちゃん。お願い、一緒にやろう。大丈夫や。先生があない太鼓判押してはるもん。絶対やれる!」
有子が気色ばって迫った。
「そやけど……」
「それに芝居は一人で作るんやないんよ。みんあで作るんや。お芝居はアンサンブルな世界なんや」
「な、なに?その…アン…充てん…」
「アンサンブル」
先生が口を出して補足した。
「仲間みんなが力を出し合って、信頼感で互いに補い合って作り上げる世界のこっちゃ」
中川先生はさりげなく説目を続けた。
「それやったら、いま僕らがやってる青年団活動と一緒やで」
「そうや。芝居も、青年団も、同じようなもんや。真逆の特別なものやないの」
有子は表情を緩めて言った。
「末松さんの言う通りや。芝居も青年団も、差別問題も一人の弱い力でどないも出来るもんやない。ひとりひとりの力がどんなに劣っていたかて、その力が合わさったら、もう無敵や。なんぼでも取り返せる。そやろ、江藤くん。な、そやないか?江藤くん」
中川先生は穏やかな顔で誠悟を見た。誠悟の心に、先生の思いは届いた。彼の頭にある戸惑いと迷いは、その瞬間消えた。
「うん。分かった、先生。俺、やらして貰うわ、小堀啓介を。そやけど、前もって断っとくで。ど素人の俺やさかい、そらもう迷惑いっぱい掛けるん間違いないけど、俺、精いっぱいやる!」
「そら初めて芝居やるもんが、わしらの上いくようやったら、わしら廃業せなならんがな。江藤くん。迷惑おおいに結構。みんなで迷惑掛け合い、そして補い合う。それが、まあアンサンブルや。芝居を作るっちゅうこっちゃ」
中川先生の茶化した言葉に、座はドーッと湧いた。拍手まで上がった。それは、有子と誠悟の主役コンビニ異存がないという証明だった。